PHPスペシャル10月増刊号Vol.7
平成26年8月18日発行に掲載

杖ことば

松原泰道(まつばらたいどう) 龍源寺住職
1907年、東京都生まれ。臨済宗妙心寺派教学部長を務める一方、宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」を創設。ベストセラーとなった『般若心経入門』(祥伝社)をはじめ、著書多数。
2009年に逝去。

覚悟(かくご)を決めたとき−−−というと、いかにも自主性があってりつばに聞こえるが、私の場合はむしろ追いつめられ追いたてられて、やむなく決めさせられた受け身の覚悟である。
 まず、戦争中に赤紙の召集(しょうしゅう)令状をもらったときが、第一回の追いたてであった。 しかし、このときは戦時下で異常に神経も高ぶつていたし、周囲もまた同じふん囲気にみちていたから自然に適応した覚悟を作ってくれて、はたで案じてくれたほど深刻な感じは湧(わ)かなかった。
 問題は復員後である。終戦後間もなく解放されたが、一つ星の私たち二等兵は内地にいたのにもかかわらず極端(きょくたん)な粗食(そしょく)のため栄養失調となり、帰宅したときは肺浸潤(はいしんじゅん)も併発していた。幸い何とか健康は取りもどしたものの、貨幣(かへい)価値の変動 による生命保険の契約更新(こうしん)の再審査(しんさ)には、どの会社からもお断わりを食ってしまつた。
 親しい医師あがりの知人が、にべもなくまあ、あと七年ぐらいかな″と、あっさりと私に逆に引導をわたした。これには参ったのである。
 出征(しゅっせい)のときとは異質の、しかもより深刻なあのときの心の動揺(どうよう)は今でも忘れられない。般若心経(はんにゃしんぎょう)と延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)を仰臥(ぎようが)のまま何回となく黙読(もくどく)した。声を出すと胸が痛むからである。
 そのとき、父であり、師であった亡き祖来和尚(そらいおしょう)が、生前に「人間が生きていくには、老若(ろうにゃく)を問わず杖(つえ)ことば″が必要だよ」と教えてくれたことを思い出した。
 杖ことばとは、人生の旅路で自分を支え、励(はげ)ましてくれる言葉である。それを自分で見つけてしっかりと握(にぎ)って手から離(はな)すな、読書や人の話で読んだり聞いたりしたのではだめだ、どこまでも自分で見つけよ、とやかましかった。
 禅書(ぜんしょ)に、杖の徳をたたえて「扶(たす)けては断橋(だんきょう)の水を過ぎ、伴(ともな)っては無月(むげつ)の村に帰る(無門関(むもんかん)四四・芭蕉拉杖(ばしょうしゅじょう))」とある。橋が落ちていても杖のカをかりて流れを渡(わた)ることもできるし、暗夜でも杖のおかげでわが村に帰ることもできよう−−−というほどの意味である。この杖はステッキではなく、めざめた自分のことである。 断橋や無月は人生の旅上でもたびたび出くわすものである。
 また、私が子どものころコマをまわして遊んでいるのを見て、師父はひとりごとのように「コマはいいな、まわりながら倒(たお)れてゆく、オレも働きながら死んでゆきたいなあ、コマの舞(ま)い倒れ″といくか」といった言葉が、深い呼吸をすると痛む私の胸にぴりぴりとよみがえつた。
 「コマの舞い倒れ」が師父視来和尚の杖ことば″だった。骨折り損のくたびれ儲(もう)けにも似てつまらぬようだが、全力を尽(つ)くし精いっぱい生きぬき働いたのなら、それでいいじゃないか、無功徳(むくどく)の功徳がほんとうの功徳ではなかったのか。
 何かを得よう、と物ほしげに歩くと人生は砂ばくのようにつまらなくなる。人生は永遠の途中(とちゅう)である。そのとき、そのところの風光を感謝したらそれでいいじやないか−−−と思ったら、胸の痛みが楽になって、はじめて心経や十句経を小さいが声を出して読めた。
コマの舞い倒れはおやじの遺品(いひん)の杖に過ぎぬ。私は私の杖ことば″を見つけなくては役に立たぬ。観音さま、どうぞ私に相応した杖ことば″をお授(さず)け下さい、と病床(びょうしょう)で手をあわせた。
 数日後の夏の夜、まだ小さかった長男の哲明(てつみょう)が縁(えん)さきで線香(せんこう)花火に火をつけてもらい喜んで遊んでいる。鼻をつく煙硝(えんしょう)のにおいに寝たまま身体をその方にふりむけた。
 まっ暗な庭さきに火花が散った。「きれいだなあ!」と思う間もなく消えた。
短い時間だったが、あたりを照らした美しさがさらに明るく私の身体の中を照らし返してくれた。
 そうだ、「線香花火!」それが恵(めぐ)み与(あた)えられた私の杖ことば″とありがたくいただいた。

 七年ぐらいの寿命(じゅみょう)といわれたが、生きのびるも生きのびて二十六年になる。ずいぶんとなが持ちした線香花火だが、周囲を少しも明るくすることができないのは私の素質の悪いせいで申しわけない。ただ今日まで生きさせていただいたお礼を少しでも申さねばならぬと覚悟を決めた。この覚悟は受け身でなく、はじめて自分から願い出た覚悟である。それがポンプの呼び水″である。井戸の底には清水(しみず)がたたえられてあるように、だれの胸の奥底(おくそこ)にも、美しいこころが宿っている。気がつかないだけである。
 めぐりあったお方の中に、呼び水となって注ぎこんで、清らかな永を汲(く)みあげられるご縁となるように−−−そんな生き方をしたい、とこの杖をついて生きてゆく覚悟である。
杖ことば1

杖ことば2

杖ことば3

杖ことば4