臨済宗妙心寺派 龍源寺

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龍源寺 松原泰道の部屋 みちしるべ名講話選2
みちしるべ名講話選 「ち え」智恵 平成27年3月20日 初版発行 発行所 公益財団法人 仏教伝道教会

水音のたえずして御仏とあり 松原泰道 P-185  戻る
水音のたえずして・・
P-186
 この句は、種田山頭火(たねださんとうか)(一九四〇年没)が、五十五歳(一九三六年)の七月四日から八日まで五日間、曹洞宗(そうとうしゅう)の大本山である福井の永平寺(えいへいじ)に参寵(さんろう)させてもらったとき吟(ぎん)じた四句のうちの一つです。
 山頭火(本名正一)は山口県生れ、早大中退後、荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)について新しい自由律の俳句を学びます。彼の生家の種田家が被産してから熊本本報恩寺で四十四歳のとき出家します。以後五十九歳で没するまで、一鉢一笠(いっぱついちりゅう)の行乞(ぎょうこつ)の漂泊の旅に出て句作をし、多くの作品を遺(のこ)しました。
 山頭火が永平寺へたどりつくまでにも、彼は信濃路(しなの)から陸奥(みちのく)(奥羽地方)の長い旅を続けています。彼は永平寺に参龍して一夜を明かした翌五日の日記に、
  「早朝、勤行随喜(ごんぎょうずいき)(早朝のおつとめに進んで参加)
  終日独坐(どくざ)、無言、反省、自責」
六日の日記に、
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の事々物々(じじぶつぶつ)を外(ほか)にして、どこに人生があるか、道があるか。

P-187
雨を観(み)、雨を聴(き)く、心浄(こころきよ)うして体閑(からだしず)かなり。
五十五歳にして五十五年の非を知る、噫(ああ)」
七日の日記に、
 「莫妄想(まくもうぞう)。
 暁(あかつき)の鐘の声が−−−それは音でなくて、声であるが身心に泌(し)みとほる」
種田山頭火の親友の大山澄太(おおやますみた)氏は、山頭火の永平寺参寵中の日記を以上のように紹介しておられます(同氏『山頭火の道』弥生書房刊)。この日記を読めば、冒頭の山頭火の句の背景がはっきりわかります。
 「水音のたえずして御仏とあり」水音は渓流の音か、それとも日記に見える雨の音か、さだかではありませんが、いずれにしても、この水音は山頭火自身です。山頭火そのものが投げこまれた、投影された水音に外なりません。
水音そのまま山頭火です。水の音そのままに、山頭火そのままにみ仏と与(とも)にある−−−と、彼ほ吟ずるのです。

永平寺は、鎌鎗初期の禅僧・道元禅師(どうげんぜんじ)(一二五三年寂) が開山です。山頭火もまた曹洞宗の禅僧ですから、

P-188
彼の道元禅の思想のうなずきが、この一旬に表れています。
 道元禅師の作られた禅のこころを詠(よ)んだ道歌といわれる(異説あり)一首に、
聞くままにまた心なき身にしあれば (あらば)
            おのれなりけり軒(のき)の玉水(たまみず)

『鏡清雨滴声(きょうせいうてきせい)』 <中国の鏡清禅師(九三七があります。禅の公案(こうあん)(命題)の年寂)と一僧が、門外の雨だれの音について問答した公案>を、道元がこのように詠んだのです。その意味は「自分が雨音を聞くという小さなはからいを捨てて無心に雨音を聞くなら、自分も自分の周囲もすべて雨音一杯である」
と、自分と雨音と一体になつて少しの隙(すき)もない境地です。
 無心の境地はそのまま仏のこころです。ゆえに山頭火は「水音のた (絶)

P-189〜P-190
えずして御仏ととも(与)にあり」−−−自分は、みほとけとともにあるのだ、みほとけは決して遠い所に在(いま)すのではなく、つねに自分とともにあるのだ−−−ーというのです。ほとけとともに、ということは「同行二人(どうぎょうににん)」といっても同じです。
 同行は、深い意味では同じときに同時に二つ以上のものが存在する、仏と凡夫(ぼんぶ)とが同一時に存在することです。人生論でいえば、心を同じくして、同じ仏道を歩む仲間です。
 いまの山頭火には、水音はたんなる物理的現象の音ではなく彼自身であり、ほとけの心です。水音と自分・自分とほとけとの二つではなく、同時的存在だと心の底で探くうなずけたのです。きっと、山頭火の心中に、静かなる大きな爆発が起きたに違いありません。だからこのようなすばらしい句が生れたのです。このとき、彼はまた「山のしづかさへしづかなる雨」とも詠んでいまず。
 私たちも「たえずしてみほとけとあり」と、自分の周囲の存在や現象に同化し、なりきるとき、ぱあっと新しい天地が開けて、他(ひと)を思いやり、自分を励ます力が与えられます。自分は決して孤独ではない、みほとけとあり・みほとけとともにあり、という明るくて楽しい自覚が生れてまいります。
 山頭火が、永平寺参寵中に吟じた四旬のうちに、次の旬があります。

てふてふ(蝶々(ちょうちょう))ひらひらいらか(甍(いらか)・棟瓦(むねがわら))をこえた
 「黄色の蝶がね、二つ、弱い羽根でひらひらしていたが、わしが坐(すわ)って観ている間に、とうとうあの大本堂の大屋根を越えたよ、その時、わしははつと感得した。この気持はあんた(大山澄太氏)には解(わか)ってもらえると思う」 (「前掲書」)

 これを読んでいると、先に紹介した山頭火の七月六日の日記の「五十五歳にして五十五年の非を知る、噫」という嘆声が、私たちの耳にも聞えてくるようです。

P-191
 彼がなげく「五十五歳の五十五年の非」も、水音を正しく聴けたからです。
「雨を観、雨を聴く」も、客観的でなく「御仏とあり」と観、聴けるから「心浄うして体閑かなり」という、おそらく山頭火が初めて体験した心身の安らぎと喜びではなかったでしょうか。
 「水音」になり切つた山頭火ですから、彼が観ていた二羽の黄色い蝶も、いまは「彼自身に外ならずと観察できたはずです。禅でいう観察は客観的な観察ではなく、そのものに成り切ってしまって自分を観ることです。したがって、二羽の蝶が永平寺の高く空にそびえる大本堂の棟瓦を舞いながら越えたとは、山頭火自身が大屋根を飛び越えた、と観えたのです。
 山頭火の思索の飛躍は、彼の残りの四年間の句作に大きな転機となつたでありましょう。このことほ既に永平寺参寵中の七月六日の日記に「行住坐臥の事々物々を外にして、どこに人生があるか、道があるか」を読めば、明らかに知れます。道元禅は、行住坐臥の威儀(いぎ)や、起居動作の作法を除いてはないからです。
 そのような心境に達し得たのも、心をつねに柔軟に、心にうるおいを欠かさぬように願ったからでありましょう。

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