臨済宗妙心寺派 龍源寺

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龍源寺 松原泰道の部屋 みちしるべ名講話選1
みちしるべ名講話選 「ち え」智恵 平成27年3月20日 初版発行 発行所 公益財団法人 仏教伝道教会

心をうるおそう 松原泰道 P-25  次ページへ    戻る
心をうるおそう
P-26
『華厳経・如来性起品』(けごんきょう にょらいしょうきほん) に、「仏の智慧(ちえ)はあらゆる人びとの心をうるおし、光を与える---」と説かれます。華厳経の本尊は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)で、びるしゃなは、太陽を意味したといわれます。大毘盧遮那仏を大日如来(だいにちにょらい)と漢訳されているのもその一例です。
 さらに太陽の光を仏の智慧になぞらえて、太陽がすべてのものを照らすように、「仏の智慧はあらゆる人びとの心に光を与える」と説かれるのです。
日本では、奈良の東大寺の大仏が毘盧遮那仏です。
 聖武天皇(しょうむてんのう)(七五六年崩御)はとくに華厳経に帰依(きえ)されて、この経の教えにしたがって東大寺を建て、大仏を造ります。
 また天皇は東大寺を給国分寺(そうこくぶんじ)とし日本全国各地に国分寺と国分尼寺(こくぶんにじ)を建てました。それは日本全体を毘盧遮那仏の国とし、日本人の一人ひとりの心に仏の智慧の光を与えようと願われたのです。
 華厳経では、仏の智慧は光だけではなく、「人びとの心をうるおす」と説かれます。人間をはじめすべてのものが成長するには、光熱と水が必要です。

P-27
人の心も光り輝く智慧だけでなく、やさしいうるおいが欠かせません。うるおいは慈悲(じひ)です。うるおいは、乾いた私たちの心をしっとりと落ちつけてくれます。
 高知県にお住まいの岩井賢郎さんは高校の校長先生でしたが、奥さんのアルツハイマー症看護のために、定年を待たずに辞職。
 在宅八年に続く特別養護老人ホーム入所と合わせて十四年にわたり、現在も病夫人の介護(かいご)に尽(つ)くしておられます。
 岩井さんの手記にあるように、長期間にわたる看護の疲れと、日常の現実の厳しい生活に、「時には思わぬハプニングをまねく事もある」のは当然です。
岩井さんは、ありのままに自身の心境をつづられます。
 身体的精神的重圧と痛みに打ちのめされ、放心していた私の心に一筋の光明を灯(とも)してくれたのは、(特別養護老人ホーム)四年目の春、ふと思い浮かんだ次の一旬であった。

P-28
 雨落ちてひばりの声を濡(ぬ)らしけり
 (中略)そぼ降る春雨(はるさめ)に、妻の病室に見た情景であったが、私の拙(つたな)い俳句入門への口火となった。
                  (『わが心の春夏秋冬』潮文社刊)

 「雨落ちてひばりの声を濡らしけり」の岩井さんの句を、私は、何べんも口ずさみました。
 春雨がひばりの声を濡らす、という巧みな表現に、とかく乾こうとする作者の心がうるおっていくのが感じられるではありませんか。(春雨は季語(きご))
 現代に生きる私たちの心は、乾ききっています。心の大地は、乾燥のあまり亀裂(きれつ)が縦横に入っています。
 心地(しんじ)に水分を与え、うるおすのを急がなければなりません。宗教心がなくても、すなおに自然のたたずまいを見つめていると、先の岩井さんのように、心も自然に和(なご)み自然のたたずまいから何らかのメッセージが送られているのに気づくものです。

P-29
 これを仏教語で「無情説法(むじょうせっぽう)」といいます。
 「無情」は、思いやりがないことではなく、人間のような意志や感情を持たないと思われる山や川や草や木や石のことです。
 そうした無情なものが説法している、というのです。
 もちろん感情や意志を具(そな)えない山川草木(さんせんそうもく)がお説法するわけがありません。
しかし私たちの心の機能(はたらき)が濃(こま)やかになっていくと、自然のたたずまいから何かを感じ、何かが見えて詩や歌や絵が生まれるのです。
いいかえると、心の受信装置が精密になると人間の感度も鋭敏になって、心の奥底で深く感受できます。これを無情説法といいます。
 山は山、川は川に変わりはありませんが、自然のすがたから、私たちが自分の生き方の示唆(しさ)を感じることができたら、無情説法を聴聞(ちょうもん)できた---といえましょう。
 要するに自分が感受したか、どうかです。

 水が澄(す)んで波立っていなかったら、空のお月さまが映ります。空に月が輝いていても、水が濁っていたら月が映っても見えないようなものです。
 この意味で、先の岩井さんは、無情説法を確実に聞きとどめたと申せましょう。
 その心境から「雨落ちてひばりの声を濡らしけり」の一旬が生まれました。
それだけではありません。
 もう少し先の岩井さんの手記を読んでみましょう。
 「ベッドより妻を起こして着替えさせ、髪を梳(す)き顔をぬぐい検熟、車椅子に移して食事までに萎縮(いしゅく)した手足のマッサージ、七時半には朝食の介助、時間をかけてゆっくりとスプーンを口に運ぶ。
 おむつ交換を手伝って再度ベッドヘ移す。
 そして私の早朝の介護は一段落する。
 だが、明朝私の来園までずっと、妻には寝たきりの一日が待っている。

P-30
言葉を失って十余年、ただ妻の眼の動きに妻の心の動きを読み取ろうとし(後略)」(同上書)

 読んでいるうちに涙が流れてまいります。こうした温かい智慧と慈悲の仏のこころが、岩井さんの心の中に恵まれたのです。
 岩井さんはまた、

  「端(はた)の目には異次元のこの世界も、私には温(ぬく)もりのある蕎薇色(ばらいろ)の仏のうてなのような温かみさえ感じていた」と述懐(じゅっかい)するのです。
心の乾いた人には、とてもできないことで、ただ心のうるおっている人にのみできる仏行(ぶつぎよう)です。
 岩井さんの手記に、
  「妻は言葉を失って十余年」
とありますから、奥さまは痛ましい症状です。

P-31
   「妻の眼の動きに妻の心の動きを読み取ろう」
と心の耳をひらいて、妻の説法の願いを聞きとどめよう−−−と努力されるのです。
 そして特別養護老人ホームが、今は、
  「温もりのある薔薇色の仏のうてなのような温かみ」
さえ感ずるとあります。
 仏のうてなは仏像の台座でしょう。特養の施設を台座になぞらえるのは、言語に絶した苦悩の末に達した心のやすらぎの意味でしょう。
 そのような心境に達し得たのも、心をつねに柔軟に、心にうるおいを欠かさぬように願ったからでありましょう。

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